
この時期、毎日の通勤途中で富士山の美しい雪化粧姿をよく眺められる。時折、白いもやに姿を隠すが、雲とは限らず、吹雪いていることが多いようだ。
山は人生そのもののようである。その中でも
富士は、人の心を引きつけるような妖しさが際立っている。遠くから眺めれば、あの独特の美しい曲線とちょうどよい程の白化粧に魅了される。富士山の神は女性なのだろうか。
その魅力に引きつけられ、昨年登頂したが、見ると登るのでは大違い。山登りはまさに人生そのもののようであった。
始めは、体を慣らし慣らしゆったり登っていったが、だんだんため息が多くなる。休み休み登っても苦しい時もあれば、3歩進んで2歩滑り落ちる時もある。それがいやになってくるのだが、登り始めたのだからしょうがない。
足元ばかりを見て歩いていれば、どこにいるのか見失いそうになるし、岩が突然落ちてくることもある。周りの景色が 素晴らしくても気がつかない。
8合目からは、もっときつくなってくる。上を見上げれば、すぐに手が届きそうなのに、いつまでたってもたどり着かない。
登頂の日は、午前中小雨の中を登っていたが、8合目あたりから雲が一斉に晴れて、自分が登ってきた道、遥か下の湖や畑も一望できた。
それはまるで人生を振り返るようである。過去のつらさを手放すときというのは、こういうことなのだろうと思った。自分の歴史をちゃんと受け止め、過去ではなく、今を未来を生きていこうと思ったときに、霧が晴れていく。そのお手伝いが私の仕事である。
登頂した時には、感動というよりもうここまで来たから十分でしょう、という気持ちが正直勝っていたが、爽快であった。本当は山頂を一周するつもりであったが、「お疲れ様でした」と富士山の神に言ってもらったことにしようと自分で決めて、下山することにした。
登山前にアドバイスしてくれた、登山家の知人の言葉を思い出した。「無理は禁物。」
そして、山小屋の人が嵐が来るかしれないと言っていたが、本当に晴れから突然曇ってきたのである。
帰り道は滑るように下りていったのだが、転落人生もこんなものなのだろうか。人間、驕るとこんな風に簡単に転げ落ちていくのかもしれない。そして、滑り落ちるスピードは登るスピードの数倍も速い。
帰り道は滑るように下りていったのだが、転落人生もこんなものなのだろうか。人間、驕るとこんな風に簡単に転げ落ちていくのかもしれない。そして、滑り落ちるスピードは登るスピードの数倍も速い。
日帰りでの無謀な日程だっため、辺りが暗くなってきた。富士山の表情が一変して不気味になる。風と山がぶつかる音だろうか、地から響いてくるようにうなる音が聞こえる。穏やかで清楚な昼の顔から自然の大きさと怖さを見せつけるような厳しい顔に変わった。これが、雪山になるとまた表情を変えるのだろうと想像する。
自然は人生をシンプルに伝えてくれる。それを複雑にして楽しむのも、混乱させるのも自分自身かもしれない。